STAP細胞騒動と科学論文
(小論文時事問題)


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STAP細胞と発見者の小保方晴子氏に関し、2014年現在、数多くの報道がなされている。2014年初頭、簡単な作製法のSTAP細胞は、山中教授のiPS細胞と比較されながらセンセーショナルに報道された。同時に、「リケジョ」という言葉と共に女性研究者である小保方晴子氏にも注目が集まった。しかし、論文に関する疑義が指摘されて以降、マスコミ報道の批判が過熱し、論文共同執筆者の笹井芳樹氏の自殺にまで発展し、現在に至ってもこの混乱が収集する気配はない。ここでは特に理系大学志望の高校生に向け、STAP細胞騒動から学ぶことのできる、科学論文と学術研究のあり方に焦点を当てる。

まず、STAP細胞論文や小保方晴子氏の学位論文で問題視されている、剽窃、いわゆる「コピペ」の問題点とは何であろうか。通常、剽窃やコピペが問題視される理由は、著作権を侵害することになるからだ。著作者独自の文章を引用する場合、原則的には著作者に無断で利用することは、著作権法で禁止されている。ただし、自然科学系の論文は自然法則の探求であり、発見者が自然法則の所有権を持つとは言い難い。実際、科学論文は著作権法の対象外となる場合も多く(1)、いまだに統一的な見解は出ていない。

現実の科学論文においては、ルールを守って引用することが暗黙の了解となっている(2)。過去の論文を引用し、自分の研究の独自性を示さなければ、科学論文としての体裁が整わないからだ。さらに、ほぼ過去の論文の引用だけで構成された総説(Review)は、普通の論文(原著論文)に比べても学術的価値は変わらない。むしろ、多くの論文に引用されればされるほど、被引用論文は学術的価値が高いものだと評価される。学術雑誌を評価する指標として、掲載論文の被引用回数(Impact Factor)が使われることも多い。つまり、STAP細胞騒動において、小保方晴子氏が「ルールを守って」引用していないことのみが問題であり、論文や学位の信頼性を根底から揺るがすものではない。

 

では、STAP細胞の存在を論ずることや、再現実験をする必要性は本当にあるのだろうか。そのためにはまず、科学論文のあり方について考えなければならない。

自然科学系の科学論文とは、ある一定の規則に従って書かれていることが原則である。大雑把にいえば、①仮説をたて、②客観的データを分析し、③仮説を論証・考察することが、科学論文の原則である。仮説とは、何らかの現象や法則を説明する命題のことであり、真偽は不明である。科学論文は絶対的な真実を明らかにする文章ではなく、仮説を証明する文章なのだ。この騒動における科学的な論点は、②の客観的データが不正かどうかである。②が不正であれば、自動的に①の仮説「STAP細胞が作製できる」が証明できなくなり、そこで議論は終わりとなる。もし小保方晴子氏や関係者が仮説「STAP細胞が作製できる」を証明したければ、また別の客観的データで論文を書けばよいだけである。

ただし、「STAP細胞が存在しない」ことを他の科学者達が証明することには、あまり学術的価値が無いように考えられる(3)。「STAP細胞が存在しない」と考えるのであれば、この論文を無視するだけでよい。再現性が低く学術的価値の無い論文は、何をせずとも自然消滅していく。そもそも、「存在しない」ことの証明は難しく、悪魔の証明といわれている。UFOが存在する可能性がゼロで無い限り、科学的にUFOが存在しないことを証明ができないことと同じだ。マスコミの報道が「STAP細胞があるかないか」と騒ぎ立てることは勝手だが、科学者達までそれに同調する理由はない。

 

最後に、この騒動から学べることは、学術研究における倫理観の重要性である。STAP細胞論文の捏造は、過去のシェーン事件と同じ文脈で批判されている(3-4)。シェーン事件においては、ヘンドリック・シェーン氏が発表した画期的な論文が捏造だと判明するまでに、実に3年の時間を要している。学術研究は科学者達の善意と倫理観を前提として成り立っているため、悪意を持った科学論文を即時に判別するシステム自体がない。もしそのようなシステムを導入すれば、科学の発展は限りなく遅延してしまうからだ。ただし、悪意を持った科学論文は、時間の経過と共に研究が進んで捏造が見つかるか、価値のない論文として忘れ去られるか……結果的には学術研究から排除されるようになっている。しかし、排除されるまでには時間がかかり、その分だけ科学の発展は遅延する。科学の目的は真理を解き明かして人類を幸福に導くことだと、多くの科学者達は考えている。そのため、科学者達は自分の研究が公知(人類共通の知識・知恵)になることを至上の名誉と感ずる。学術研究において倫理観が必要な理由の1つは、それが人類の幸福を妨げるからだと言うことができる。

科学者志望の学生は、自分が悪意を持たないことはもちろんだが、他人の学術研究を科学的に批判することが必要である。他人の学術研究を感情的に批判して一喜一憂することには、学術的価値がなく、科学の発展や人類の幸福とは無関係だからだ。

 

<引用文献>

(1)新谷由希子(筑波大学准教授)、菊本虔(筑波大学名誉教授)、(2014)「自然科学系の学術論文は著作物となり得るか:自然科学系の学術論文と著作権の関係について」知財管理

(2)井上泰浩(広島市立大学教授)、(2014)「『正しいコピペ』科学者にとってモラルではなく厳格な戒律」huffingtonpost.jp

(3)中山敬一(九州大学教授)、(2014)「STAP細胞はUFOと同じ!?科学者が語る『なぜ捏造は繰り返されるのか』」ダイヤモンド・オンライン

(4)シェーン事件に詳しい著書

 

<参考文献>

武田邦彦(中部大学教授)、(2014)「STAP事件簿15『公知』に供する科学者のプライド…恩を感じる日本人」武田邦彦公式サイト

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