部活の目的は、教育?スポーツ?それとも青春?
(小論文時事問題)


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2014年6月、OECDの公表した国際教員指導環境調査(TALIS)の結果を受け、日本における教員の労働環境が劣悪であると批判された。特に、日本の労働時間が世界最長の54時間(週あたり、参加国平均38時間)であり、中でも部活(課外活動)指導時間は7.7時間(週当たり、参加国平均2.1時間)と突出していたため、批判の槍玉に上がるようになった。しかし、日本の部活を巡る議論は、複数の異なる論点が絡まっているために結論が見えず、教育指導要領においてもあいまいな方針しか出されていない。ここでは、部活の現状をふまえて議論の焦点を絞って整理し、国際比較を通して今後の展望を論じてみたい。

 日本の部活は教師のサビ残で支えられている

日本の部活は、大部分の中高生にとって欠くことのできない、学校生活の重要な要素である。文武両道を掲げて全学生の部活参加を指導する中高校も多く、学生においても「部活と勉強」が印象深い思い出だという話を多く聞く。漫画の題材として取り上げられるケースも多く、「キャプテン翼」「スラムダンク」のように国内外に多大な影響を与えた作品も存在する。

しかし、部活の学校教育における位置づけははっきりしない。現在の教育指導要領において、部活は教育課程では無いと規定されるが、「教育課程との関連が図られるように留意」とも書かれ、その扱いがはっきりしない。実際、部活をしていなくとも学校は卒業できる。同時に、学校という教育現場においては、人間形成や人格教育の柱として扱われいる場合が多く、制度と実態のギャップは大きく隔たっている。

そのギャップのしわ寄せは、教員の労働環境に深刻に及んでいる。TALISでは週7.7時間とされる教員の部活指導時間だが、活動が盛んな運動部顧問であればもっと長いことが予想される。ある教師によれば、「平日は毎日6時半まで部活指導、土日は練習か練習試合で夏休みも無く、解放されるのは試験期間中だけ」とある。さらに、これらの指導はほぼサビ残(サービス残業)といっても差し支えない現状だ。日本の教員(公立の非管理職)は一律で教職調整額(給与の4%)が支給されているため、勤務時間外の労働に対して残業手当が払われない。しかも、教職調整額は残業の有無・長短に関わらず支給されるので、平日の部活指導は実質、無償でなされているといえる。さらに、休日出勤となる土日の部活指導ですら3000円(4時間以上、時給750円以下)しか支給されず、学校内活動か公式戦引率以外(つまり合宿や練習試合など)は支給対象にならない。つまり、日本のほとんどの部活は、顧問教員の善意で支えられていると言っても過言ではない。

これに対し、いくつかの自治体では教員の負担軽減を目的として、部活指導の外部委託を始めている。例えば大阪市では、2014年に部活指導を外部委託する方針を固め、プロコーチ等を派遣する企業、団体への委託を検討中だ。東京都杉並区でも、2013年から土日限定で外部委託を始めている。自治体の負担増大、指導者確保などの問題も抱えているものの、新たな試みとして期待されている。ただし、スポーツ強豪校などでは専門家の外部講師を雇うことも少なくなく、さらにはスポーツ指導を目的として教員になる場合もあるため、一概に論じることは難しい。

 部活を論じるための論点整理

部活を論じるために、①何のために(指導目的)、②誰が教え(指導者)、③誰が教わる(指導対象)のか、3点に絞って整理したい。

部活のあり方や指導方法を考える上で、最も基本となる内容が指導目的である。指導目的としては、内面的教育(人間形成、徳育、人格教育)、肉体的教育(体力・技術力向上、健康増進)、人材育成(プロ競技者や芸術家の輩出)、学校運営(競争力強化、広報、受験者数増進)、コミュニティ形成(地域社会との連携強化、組織運営力教育)などが挙げられる。これらの目的を達成する方法はそれぞれ異なり、よく似た方法論もあれば相反する方法論も存在する。しかし、日本の部活は複数の目的を同時に達成しようとするため、矛盾する方法論が用いられて社会問題化する場合もある。例えば、運動部における体罰や勝利至上主義は、内面的教育と肉体的教育の混同や、学校運営(競争力強化)に偏ったために起きたと考えることもできる。

指導目的を達成するための方法論として、誰か指導者を担うかが重要な論点となる。ここで、部活の指導者は、教員と外部講師の2つに大別できる。内面的・肉体的教育を重視するのであれば、教育学やスポーツ生理学を学んだ教員の指導が効果的である。人材育成や学校運営を重視するのであれば、プロ経験やライセンスを持つ専門家(外部講師または教員)の指導が効果的だ。ただし、教員を指導者とした場合、その過酷な労働時間が解決されていないため、教員同士のワークシェアリング、外部講師との業務分担、就労規則の改正など、別の解決策が必要となってくる。また、コミュニティ形成が目的であれば、地元スポーツクラブや芸術団、地域の学生・青年・保護者ボランティアなどが外部講師として指導しても良いであろう。

さらに、指導対象の範囲も、指導目的を考慮して議論するべきだ。内面的・肉体的教育が目的であれば、学生全員を指導対象とするべく教育指導要領の改正が必要になる。逆に人材育成・学校運営が目的であれば、才能のある競技者・芸術家志望の学生が指導対象となり、厳選した学生のみ参加できる制度が必要だ。コミュニティ形成が目的であれば、学校という枠組みを越える必要があり、各地域、該当年齢の子供全てが指導対象となる。近年では学生数減少による複数校合同の公式戦参加や、学校の部活と地域ユースチームが参加するプリンスリーグ(サッカー)など、様々な取り組みが行われている。

 部活の国際比較

次に、指導目的、指導者、指導対象の3点を見ながら、部活の国際比較をしてみたい。

スポーツ大国とも言えるアメリカの部活は、(多様な学校があり一概には言えないが)主に人材育成と学校運営を重視した運営体制だと分析できる。部活をアメリカンフットボールやバスケットボールなどの主要スポーツに絞り、学内でトライアウト(選抜試験)を受けた少数だけが入部することが出来る。さらに、シーズン別で異なる競技に参加することができ、学生は自分の適性を試しながら能力向上に努めることができる。指導者に教員がなる場合、日本ほど強制されることもなく、年間1万ドル程度の手当を受けている。同時に外部講師も採用されており、強豪校では高額な報酬でプロコーチを雇っている場合もある。ただし、総合的に言えば教育目的が無視されている訳ではなく、部活は学校長やアスレチックディレクターによって管理されている。プロ競技者を目指す場合でも学校の勉強は重要視され、部活も勉強に支障のない範囲内で行われる。大卒でなければほとんどプロ競技者になれない、アメリカの特殊な環境が要因だと考えられる。

一方、ヨーロッパでは、そもそも部活という概念がないともいえる。学校で部活のようなスポーツ活動はあるものの、あくまでスポーツ体験、体育の延長線上にある。学校における運動場、体育館の普及率が低いこともあり、学校は勉強をする場所だと位置づけられている。日本における部活の役割は、人材育成とコミュニティ形成を目的とした、地域クラブが担っている。地域の公共スポーツ施設が充実しており、毎週末に活発なクラブ活動がなされている。その背景にはプロスポーツ・クラブがあり、地域に密着した裾野の広い人材育成・発掘を行っている。そのため、(当たり前だが)指導者は教員ではなく、プロコーチや地域ボランティアなどが担当している。

また、中国や韓国などのアジアでは、大多数の学校では部活がないものの、少数の学校で人材育成と学校運営を最重要視する部活が存在する。そのような学校では、学生の勉強は軽視され、学校にいる時間のほとんどをスポーツや専門的な分野に費やす。入学できる学生は厳格に審査され、プロ競技者や芸術家の予備軍と見なされる。指導者は、その分野での高い専門性と実績を求められ、教員資格は重要視されない。

ここで、国という単位ではないものの、ボーディング・スクールの部活も比較対象にする。ボーディング・スクールとは欧米の全寮制寄宿学校であり、富裕層の子弟が通うエリート養成学校のことである。ここまで紹介した国々とは異なり、ボーディング・スクールは内面的・肉体的教育を目的とした部活を運営している。そのため、全学生の部活への参加が義務付けられており、シーズン毎に異なるスポーツや芸術に取り組むことが一般的だ。さらに、全員が競技に参加できるよう配慮されており、同じスポーツでも生徒の数だけチームが作られる。極端に言えば、どんなに運動神経が悪い学生であっても、選手として競技に出場できるのだ。さらに、リーダシップ教育の一環として、ほとんどの学生が一度は部長を経験する。また、教科担当の教員が指導者になることはほとんどなく、部活指導の専門教員がつくことになる。そのような専門教員は(学校により大きく異なるが)学校によっては元プロ競技者や芸術家の場合もある。もちろん、教育対象となる学生の進路は、多くの場合はプロ競技者や芸術家ではない。一流のプロ競技者や芸術家の指導に触れさせ、学生の意識を啓発することが目的だからだ。

 日本の部活がロール・モデルにすべきなのは

部活の国際比較をした場合、日本の部活と最も近い性格を持つのは、ボーディング・スクールのものであるように分析できる。日本の部活は、ボーディング・スクールをロール・モデルとして改善すべきではないだろうか。部活指導において強調される内面的教育は、レギュラー争いで生じる劣等感や抑圧的な上下関係ではなく、純粋なスポーツ競技と公平なクラブ運営等を通してこそ満たされる。運動神経の高低に関わらず部活の教育機会が平等に与えられれば、教育の波及効果も期待できる。(ただし、部活の強豪校は人材育成と学校運営の要素が強いため、アメリカの部活をロール・モデルとした方が良いだろう。)

ただし、ボーディング・スクールは富裕層の学校であり、ロール・モデルにするためには十分な予算と学校の自由裁量が必要不可欠となる。そのまま日本に輸入するのではなく、無難なローカライズしなければ現実的に不可能だ。さらには、学校側に部活の改革を押し付けるのではなく、抜本的な教育制度改革がなければ、そもそも無理な話だ。むしろ、教員の待遇改善を含めた教育制度改革が、結果として部活のあり方を変えていくことの方が本筋だろう。今後、TALISの結果をきっかけとして、いち早い教育制度改革を期待したい。

 

<参考文献>

TALISの公表内容まとめ(国立教育政策研究所)

TALISの内容を受けて書かれたコラム(林寛平、信州大学・教育学部・助教)

TALISの内容を受けて書かれたコラム(舞田敏彦、武蔵野大学・杏林大学兼任講師)

部活動の意義(文部科学省)

「問われている部活動の在り方」関喜比古(文教科学委員会調査室)(立法と調査、2009.7、No.294、参議院サイトより)

部活に対して書かれた、教師のコラム

学校部活動の限界と地域スポーツ(大竹弘和、神奈川大学・人間科学部・教授)

学校運動部活動のあり方(間野義之、早稲田大学・スポーツ科学学術院・教授)

スポーツの振興による地域の教育力の向上(文部科学省)

大阪市による、部活外注の報道

アメリカの部活について書かれたブログ

運動部活動の国際比較(神奈川県高等学校教育会館教育研究所)

ボーディングスクールの部活について書かれたブログ

画像:arturodonate