世界経済にはびこる公的資金「ドーピング」問題
(小論文時事問題)


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2008年のリーマン・ショック以降、世界経済が危機的状況にあることに多くの人々は同意するであろう。では、リーマン・ショックを原因として世界経済が危機に陥ったのか、それとも世界経済の問題を原因としてリーマン・ショックが起きたのか。現代における政府と市場の関係を、アスリートの「ドーピング」問題と比較しながら考えてみたい。

ランス・アームストロングの「ドーピング」問題

2013年、世界的アスリートであるサイクリスト、ランス・アームストロング氏は、かねてから疑われていた長年に渡るドーピングを告白した。アームストロング氏は生存率50%以下のガンを克服し、世界最高峰の自転車ロードレース「ツール・ド・フランス」での前人未到の七連覇を達成したことで著名だった。日本では英語教科書に登場する程度でやや知名度の低いアームストロング氏だが、アメリカではマイケル・ジョーダンやタイガー・ウッズに匹敵するアスリートだと見なされていた。もしアームストロング氏を知らなくとも、ガン撲滅運動を目的とした黄色のリストバンドや、オークリーのスポーツサングラスを目にしたことがある人も多いはずだ。しかし、元チームメイトからの告発をきっかけにUSADA(全米反ドーピング機関)とFDA(連邦食品医薬局)が本格的な調査に乗り出し、アームストロング氏のドーピングが明らかとなった。さらには、自転車ロードレース界に組織的にはびこるドーピング問題が明らかになり、世界のスポーツ界を大きく揺るがすこととなった。

アームストロング氏のドーピングが長らく公にならなかった理由は、彼の影響力が大きすぎたからだと考えられている。アームストロング氏は睾丸ガンの全身転移からの奇跡的復活、ツール・ド・フランス七連覇の業績により、自転車後進国アメリカの「英雄」であった。さらに母子家庭出身、睾丸ガンで失った生殖能力にも関わらず生まれた息子たちなど、自転車以外の要素もその成功を手伝った。アームストロング氏によって、自転車ロードレースはかつてないほど注目を浴び、巨額の経済効果を生み出した。アームストロング氏は一人でこっそりドーピングをしていたのではない。チームメイトや所属チームのUSポスタル・サービス、さらにはドーピングを取り締まる役割の国際自転車競技連盟までが一体となって、アームストロング氏を支援し、事実を隠蔽してきたと言われている。なぜなら、アームストロング氏と自転車ロードレース界は利害関係者(ステークホルダー)であり、ドーピングが発覚すれば、両者は大きな損失を被るからだ。そのためか、アームストロング氏は感覚が完全に麻痺し、「当時は違反しているという自覚はなく、レースをするための仕事の一部のように思っていた」とインタビューに答えている。

 公的資金注入とアームストロング氏の共通点

経済政策の1つとして当たり前のように行われている公的資金注入も、アームストロング氏のドーピング問題と多くの共通点を持っている。リーマン・ショックを原因として経営破綻した大手企業は、経済や雇用への「影響力が大きすぎる」という理由で救済されてきた。自転車ビック3のGMとクライスラー、生命保険のAIG、大手銀行のシティバンク、バンクオブアメリカなど、世界的企業がアメリカ政府による公的資金注入で延命している。企業だけでなく、国家でも同じである。ヨーロッパにおけるPIIGS(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン)諸国も経営破綻寸前にまでなったが、欧州中央銀行(ECB)の支援を受け、ぎりぎりのところで踏みとどまっている。どちらのケースも多額の赤字国債を生み出し、問題を先送りしただけだとの批判も受けている。

ここで問題なのは公的資金注入自体もそうであるが、むしろ政府と企業がステークホルダーであることで、経済政策の歯止めが効かなくなってしまうことだ。国家の運営に関わる大手企業が倒産することが大きな損害となるため、政府は国債を発行して公的資金を注入せざるを得なくなる。さらに、その公的資金は企業の健全化や成長に充てられるよりも、抜け目のない投資家に流れていく場合も多い。その現象は今や一国で起きるのではなく、世界規模で起きている。過去に成功していた経済政策が空回りし、先進諸国の実体経済成長が停滞しているのが現状なのだ。

 経済学の歴史から見る、政府と市場の関係

ここで、そもそも政府と企業(市場)がどのような関係であるべきかが、重要な問題となってくる。政府はステークホルダーの座を降りて、経営破綻を起こす企業を見捨てるべきか。それとも、政府が積極的に市場介入していくべきなのか。

このような政府と市場の関係を議論してきたのが、経済学史の大きな流れともいえる。経済学の始まりは18世紀、アダム・スミスの「古典派経済学」と言われ、自由市場における価格と雇用の自動調整機能を信頼する、自由放任主義が特徴である。古典派経済学における政府の役割は、市場介入を最小限に抑えることだ。だが、1929年の世界恐慌によって、古典派経済学の限界が見えてしまった。そこで台頭したのが、ケインズによる「現代経済学」とマルクスによる「マルクス経済学」である。現代経済学は自由市場を信頼せず、政府は不況時に市場介入し、未然に崩壊を防ぐ役割を持つ。マルクス経済学は資本主義自体を否定し(古典派・現代経済学は資本主義が前提)、政府は市場(価格や雇用)を決定する役割を持つ。ただし、マルクス経済学はソ連崩壊以後、ほとんど省みられなくなっている。世界の主流は現代経済学となったものの、1970年代のオイルショックでその影響力が弱まり、代わりに「新古典派経済学」が盛んになった。新古典派経済学とは、政府は国営企業の民営化や規制緩和を進めて「小さな政府」を志向する、古典派経済学の復権であった。しかし、新古典派経済学はリーマン・ショックにより再び影響力を弱め、今度は現代経済学が見直されつつある。日本の経済政策も、大雑把に言えば現代経済学と新古典派経済学の綱引きであり、アベノミクスは現代経済学の文脈で語られている。

 五里霧中の世界経済

高校の教科書レベルで大まかな経済学史の流れを振り返ったが、結局、政府と市場の関係における最適解は未だに出ていない。現代のグローバル化した世界経済のためには、今の経済学理論を発展させるべきか、それとも新たな経済学理論が必要なのか……唯一わかっていることは、今、世界経済が変革を迫られていることだけである。

アームストロング氏は、ドーピングがはびこる自転車ロードレース界の競争で勝つためには、自分もドーピングをする以外に方法が無かったと証言している。世界経済も「ドーピング」が当たり前の競争であり、「ドーピング」しなければ生き残れない。しかし、ドーピングをしたアスリート達が、自らの寿命を削るリスクを負っていたことを忘れてはならない。

 

 <参考文献>

ランス・アームストロングのドーピングに関するコラム

ランス・アームストロングへのインタビュー

経済学の歴史的流れを大まかに解説

GM、クライスラーの経営破綻

AIGの経営破綻

欧州PIIGSの経済危機