2014年に入ってから、アジア(正確には東および東南アジア)で市民デモが多発している。市民デモが起きている国々は、台湾、ベトナム、フィリピン、そして11/5現在でも継続中の香港などだ。これらの市民デモは全て、中国と深いかかわりを持っている。ここでは、各国のデモの概略を紹介しながら、その原因となった背景を分析する。
中国影響圏内における、アジア各国の市民デモ
香港にて、2014年9月27日より始まった大学生を中心とした民主化デモは、11月5日現在でも継続中だ。もちろん、香港を「国」と呼ぶことには語弊があるものの、香港市民にとっては「自治国」の意識は強いものだ。1997年に英国から中国に返還された香港には、今後50年間は中国が直接統治しないという約束があった。しかし、香港の行政長官は、長らく不完全な間接選挙で選出されており、民主的な統治には程遠かった。2014年の法改正を通し、ついに行政長官直接選挙を手に入れた筈だった。だが結局、立候補には実質的に中国共産党の推薦が必要だという、不完全な直接選挙制でしかなかった。完全な直接選挙を求めて香港市の中心部を占拠したデモは、未だにこう着状態である。もし、中国の人民解放軍による介入が始まれば、第二の天安門事件となり兼ねない。
台湾において、2014年3月18日~4月10日、大学生が中心となって台湾立法院を占拠した。これは、2013年6月に締結された、台湾-中国間のサービス貿易協定への反対デモから発展したものだ。サービス貿易協定とは、サービス分野の市場開放を目的とした自由貿易協定である。ちょうどサービス貿易協定に関する法案の審議中であった、立法院に大学生がなだれ込み、21日間にわたる占拠が始まった。ただし、サービス貿易協定自体は、決して台湾に不利な「不平等条約」では無かったという。むしろ、中国資本が台湾に流入することで、中国共産党の影響が及ぶことを懸念したのだろう。最終的に、サービス貿易協定を監視する「両岸協議監督条例」の法制化を政府が約束したことで、国会議事堂を占拠していた大学生達は解散した。
ベトナム・フィリピンでは、より直接的な「反中」デモが多発している。社会主義国であるベトナムは、本来は民主主義国家以上にデモに厳しい。しかし、ベトナム領の南シナ海、西沙諸島近海にて中国が石油掘削作業を始めたことを受け、2014年5月に大規模な反中デモが全国各地で起こった。そのため、中国との領有権を争うベトナム政府は、一時はデモを黙認していた。しかし、デモの拡大と暴徒化に伴い、ベトナム政府が強権的な規制を始め、現在では沈静化している。このデモは、フィリピンにも飛び火した。この背景も、フィリピン領の南シナ海、南沙諸島近海のガス田開発を巡る両国間の対立にある。
中国領域内における、各地域の反政府デモ
このような中国の影響圏拡大に対し、アジア諸国は過敏に反応する。その理由の1つは、既に中国領域内に編入された国々の現状なのかもしれない。中国は、中華人民共和国成立の前後に、周辺3ヶ国を自国に編入した。そのことを「大戦後のどさくさに紛れて強引に」と評する識者もいる。その3ヶ国の歴史とデモの現状を簡単に振り返ってみよう。ただし、これらの情報は有効な中間的資料が無いことを前提に読んで頂きたい。
チベット(現中国領チベット自治区)は、1950年頃に中国人民解放軍による「解放」が行われ、中国に編入された。その際、強引な侵略と大規模虐殺が行われたとも言われている。敬虔な仏教徒であったチベット人の大多数が無抵抗主義を貫いた為、甚大な被害が出たともいう。チベット亡命政府によれば、6千以上の寺院が破壊され、93%の僧侶が殺されるか追放され、チベット人120万人が虐殺されたと主張する。そして現在、デモが厳しく規制される中国では、チベット僧の焼身自殺による、中国政府への抗議が後を絶たない状況にある。
東トルキスタン(現中国領新疆ウイグル自治区)もチベットと同様に、1949年頃に中国に編入された。ここでも、人民解放軍による「解放」が行われたと言われている。2013年10月には、北京市の天安門前で車両が炎上して46人の死傷者が出る事件が起き、中国政府はウイグル過激派によるテロと断定した。テロとしては不可解な点が多く真偽不明であったが、2014年6月、中国政府は主犯とされるウイグル人3名の死刑判決を出した。さらに、ウイグル人と警官隊の衝突も頻発しており、双方に多くの死傷者を出している。
南モンゴル(現中国領内モンゴル自治区)も、中華人民共和国成立と同時に編入された。南モンゴルにおける中国支配は、他2カ国よりも歴史を遡らねばならない。遊牧民が主体で土地所有の観念がない南モンゴルは、17世紀頃から漢族の入植が始まり、19世紀頃には清朝の支配下にあった。2011年には南モンゴル人による全国的な抗議行動が起きたが、中国政府により沈静化された。現在、中国政府は南モンゴル人のデモ再発防止に力を注いでいるという。
これら3ヶ国の独立運動家によれば、これら自治区において、厳しい人権弾圧、宗教弾圧、言論弾圧が行われているという。元々持っていた言葉、宗教、文化、血統を無くして漢族と同一化させる、民族同化政策が実施されている主張する。中国政府への抗議デモはテロと見なされ、投獄、粛清が未だに続いているというのだ。
逆に中国政府の主張によれば、海外からの支援を受けた反政府勢力によって無差別テロが多発していると主張し、アメリカと同様に「テロとの戦い」をすると宣言している。実際に何が起きているかは、独立運動家と中国政府の主張が正反対であり、言論統制が行われている現地の状況を判断することは難しい。しかし、自治区での現状が、中国周辺諸国での反中デモが相次ぐ理由の1つであるのは間違いない。
市民デモの負の側面
以上紹介したデモは、あくまでも「市民」が中心となった自発的な抗議行動とされているが、実際にはもっと複雑な内幕を抱えている。たとえば、市民デモは反政府組織、経済団体、他国政府などから支援される場合が少なくない。香港民主化デモの「オキュパイ・セントラル運動」も、アメリカ民主主義基金(NED)の支援を受けているといわれている。政府発表、デモ主催者の演説、その報道に至るまで、プロパガンダ(思想を誘導する宣伝行為)が含まれていることを前提に判断する必要がある。
さらに、市民デモは政治・経済機能を停止させることを忘れてはならない。香港での市民デモは都市機能を麻痺させ、開始から1週間の時点での経済損失が、約5兆円と試算されていた。既に1ヶ月を越えた香港市民デモは、香港経済の屋台骨を揺るがしかねない経済損失を生み出している。多少事情は異なるが、2014年に(立憲革命以降の80年間で)19回目のクーデータが起きたタイでは、繰り返されるクーデータが経済成長の足を引っ張っている。もちろん、犠牲を払ってでも抗議すべき主張があることは確かかもしれない。しかし、デモ関係者以外も、望まない犠牲を払っていることを忘れてはならない。
これらのデモと、日本の関係
このようにアジアで多発するデモは、日本にとって対岸の火事ではなく、日本も当事者の一人である。現在の日中関係には、尖閣諸島問題、度重なる領空侵犯、排他的経済水域内の中国漁船操業など、国権を左右する重大な問題が山積している。日本も反中デモをすべきだ、という単純な話ではない。しかし、国際社会において沈黙は美徳ではない。もし日本が、反中感情の渦巻くアジアでリーダーシップを発揮しようと考えるのならば、大胆な対中外交政策が必要となるだろう。繰り返すが、アジア諸国のデモは対岸の火事ではない。今、日本の対中外交が、アジアから、世界から注目されていることを忘れてはならない。
<参考文献>
画像:http://saigaijyouhou.com/