2014年1月、日本テレビの放映した連続ドラマ「明日、ママがいない」は、関係各所で物議をかもし、混乱を巻き起こした。このドラマは「赤ちゃんポスト」や児童養護施設をテーマにしたものであった。しかし、その表現の過激さと悪影響に対し、「赤ちゃんポスト」を運営する慈恵病院や全国児童養護施設協議会は強く批判し、内容の変更を要求した。さらに番組スポンサーがCM放送を自粛するなど、異例の事態のなか、日本テレビは全9話を予定通り放映した。内容に関しての賛否両論はあるものの、日本の児童虐待件数の急増と、児童養護施設不足は深刻な社会問題であることは確かだ。今回は、児童虐待とその解決策に関し、国際比較を含めながら解説する。
深刻化する児童虐待と、社会養護の現状
日本での児童虐待は、急速に悪化している。特に、2000年の児童虐待防止法制定により児童虐待が社会問題としての認知されて以降、年を追って増加している。児童虐待相談件数を例にとって見れば、2000年には1.8万件前後であったが、2013年には7万件を超え、年あたりの増加率は20%以上といわれている。その間、少子化により15歳未満人口が1800万人から1600万人へと減少していることも考慮すれば、児童虐待件数の急増が見て取れる。
この児童虐待急増の影響により、児童養護施設の不足も社会問題となっている。児童相談所が保護し、帰宅困難な虐待被害児童のうち、約8割が児童養護施設に、残り2割は里親に預けられる。現在の児童養護施設への入所理由のトップは親の虐待(33%、2008年データ)である。
しかし、多くの児童養護施設は予算面、人材面での課題を抱えている。法律上は5.5名の児童に対して1名のケアスタッフが付くことになっている。もちろんケアスタッフが24時間勤務することは不可能であるため、名目上で平均して児童10名に対して1名、実際にはそれ以上の児童数に対して1名のケアスタッフが担当すると言われている。勤務環境の厳しさから、ケアスタッフの離職率は高く、平均勤続年数は8年ほどしかない。(経済的理由も手伝って)児童養護施設に住む子供の大学進学率は極端に低く、13%(2010年データ、全国平均は54%)しかない。もしかすると、ドラマ「明日、ママがいない」の内容もあながち非現実的とはいえないのかもしれない。
さらに、児童相談所(児童虐待の防止、調査、改善指導を担う)も同じような課題を抱えている。特に各家庭と接するケースワーカー(児童福祉司)の人材不足は深刻である。ケースワーカーが抱える相談件数は100件を超え、活動内容も多岐にわたる激務だ。欧米ではケースワーカーが抱える相談件数は20件程度であり、大きな開きがある。専門家によれば一人前になるのに10年かかるといわれるケースワーカーだが、せいぜい3-4年のスパンで人が入れ替わり、スペシャリストの育成が困難になっている。一部では児童相談所が拉致まがいの児童保護をしていると批判され、裁判沙汰になっている。詳細や信憑性は不明であるが、児童相談所が機能不全に陥りかけている、一つの過渡的現象と言えるかもしれない。
多機関連携による児童虐待の防止
このような、児童虐待と関連する問題を解決するためには、3つのアプローチを考えることが出来る。
1つ目は、児童虐待を多機関が連携して防止することである。この好例がアメリカである。ただし、アメリカは先進国中最悪と言えるほど児童虐待件数が多く、「虐待大国」と揶揄される国である。アメリカは児童虐待が絶えないがゆえに、行政的、法的防止策がよく整備されている。まず、アメリカのケースワーカーは家庭、警察、裁判所、行政などとの調整役であり、各機関の専門性を生かした役割分担もはっきりしている。児童虐待に関する法整備も厳格に運営されており、小学生以下の子供が一人で公園で遊んでいるだけで、保護者のネグレクト(育児放棄)として処罰される場合すらある。児童虐待が疑われるケースでは、長期間に渡る調査をもとに、双方(保護者と行政)が弁護士を立てた裁判により処遇を決定する。日本では同じ過程を全て児童相談所が担っており、過度な負担と公平さを担保しづらい構造になっている。
子供の家庭教育支援による児童虐待防止
2つ目は、児童虐待の原因そのものを減らすアプローチだ。
一般に、児童虐待の原因は多岐に渡ると考えられている。その原因を挙げればきりがないが、社会階層、人種、貧困、ひとり親、実親以外との同居、失業、家庭内暴力、家族崩壊、社会的孤立、児童の疾病、障害、精神疾患、親の薬物・アルコール依存、十代の出産、低教育歴、児童虐待を受けて育った生育歴……などがある。さらに、これらが相互に関係しているため、一つの原因だけに着目することは困難だ。
そのなかで、近年の日本では「児童の貧困」を原因とする児童虐待が注目されている。実は日本の児童貧困率は15.7%(2010年OECD調査)とOECD諸国(平均13.3%)でも高い数字であり、その上には経済不安をかかえるPIIGS、経済格差の大きいアメリカしかいない。さらに、ひとり親家庭の児童に限れば貧困率50.8%と、OECD諸国(平均31%)で最悪の水準にある。日本では、労働時間が制限されるシングルマザーの就職が困難であり、国や企業の配慮が遅れていることが見て取れる。
同様に、子供の教育に対して国の公的支出も低い水準にある。日本の教育機関に対する公的支出の対GDP比率はOECD加盟国中最下位(2010年、OECD調査、4年連続最下位)である。また、日本の子供・家族向け公的支出は対GDP比0.7%と低く、OECD諸国中では、韓国、アメリカに次いで低い。日本人はあまり認識していないが、日本は先進国でも特に子供を育てづらい国なのだ。
つまり、児童虐待の原因そのものを減らすためには、子供を育てやすい国家運営方針を立てる必要があるのだ。例えば、子育てしながらの労働を可能にする労働環境整備や、教育制度への財政支出増加などだ。
日本独自のセーフティネットが必要
3つ目のアプローチとして、海外の事例から学ぶだけでなく、日本独自の児童養護政策が必要である。なぜなら、日本は欧米諸国とは異なる特有の文化的特徴を持っているからだ。
その文化的違いは、児童養護の方向性に如実に現れている。先に述べたとおり、日本での虐待被害児童は8割が児童養護施設、2割が里親に預けられている。これに対し、欧米諸国ではおおむね5割以上が里親に預けられるのだ。この理由として、里親という文化自体が日本に馴染みづらいことが考えられる。
実は、日本人は国際的に見ても弱者救済意識が低いと言われている。2007年、PEW研究所は国際意識調査として、「自立できない非常に貧しい人たちの面倒を見るのは国の責任である」ことに賛成か否かを尋ねた。日本でこの考えに賛成しているのは59%であり、国際的には際立って低かったのだ。調査対象のほとんどの国では80%以上、ヨーロッパ諸国は90%前後が賛成している。
日本の弱者救済意識の低さは、文化的特徴が原因だと考えられる。たとえば日本には、個人の貧困や病気は前世の業、過去の悪行の報いだという、輪廻転生・因果応報の仏教思想が根付いている。つまり、自分のせいで弱者になったのだから自業自得だ、という考え方だ。これに対し欧米では、貧困や病気に関係なく人は神の前で平等であり、弱者は救済すべきだというキリスト教思想が軸になっている。
そのかわり、日本は共同体内での相互扶助(助け合い)意識が、弱者救済の役割を担っている。家族や集落単位の相互扶助が無意識的に機能しているのだ。この相互扶助意識は個人個人が持っているというよりも、共同体内の「空気」で共有されている。そのため、日本の近代化によって都市部の共同体形成が難しくなるのと同時に、相互扶助意識も希薄になりつつある。日本独特であった共同体ベースのセイフティネットが、自然消滅しつつあるのだ。ちなみに、欧米の弱者救済意識は個人を基点としているため、共同体意識とは関係なくセイフティネットが機能する場合が多い。
つまり、日本独自の相互扶助意識を持った共同体の再建が、児童養護のセーフティネットとなりえるのだ。この共同体は「ムラ社会」と呼ばれ、陰険で排他的な負の遺産として疎まれてきた。もちろん共同体の負の側面があることは否定できないが、同時に共同体内のあらゆる面でのセーフティネットとして機能してきたことは間違いない。現代に適応した「ムラ社会」を再建できるかどうかが、児童養護政策改善の重要課題だと言えるのだ。
今なお悪化し続ける児童虐待と児童養護環境を改善するため、更なる学術研究、法制度改革、政策実施が必要である。これらの対策は、日本の抱える少子高齢化問題の鍵でもあり、いち早い解決が期待されている。